
日曜日は、中尾陽一さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」でした。雨降りの寒い日曜日、美術鑑賞っていいものです。
今回の画家は、ただいま上野の国立西洋美術館で開催中「シャセリオー展」のテオドール・シャセリオー。しつこいようですが、この画家は日本ではちっとも知られていません。19世紀の画家です。この中尾さん講座の予告反応では、知られざる画家への皆さんの期待度がけっこう高かったような気がします。まずは絵がどことなく魅力的だしね。
カバリュス嬢の肖像(1848年)
中尾流の素敵なところは、美術史を知らなくても、絵をたった今見たばかりでも、何か感じること印象などを言葉にしたり、分析してみたりするところ、そしてそれが誰でも思わずできちゃうところ。
とはいえ、ちゃんと美術史的な流れや位置も押さえます。シャセリオーの先生は、新古典主義の画家、アングルです。そんな流れから、シャセリオーは、新古典主義に次ぐ「ロマン主義の異才」と展覧会パンフレットのキャッチコピーにあります。
「これ、有名ですよね。」
アングルの「泉」 これが新古典主義。
シャセリオーは、この絵の先生門下に入りました。なんと11歳にして!・・・ということは、かなりの才能、技量があったということですね。
「これは16歳の時に描いた自画像です」
シャセリオー自画像
まずは、新古典主義とロマン主義の代表的な画家たちの作品をスライドで見ながら、その作風の違いを検討していきます。新古典主義の代表がアングルだとするとロマン主義は、ドラクロワ。
これがドラクロワ。「サルダナバールの死」。絵の中にいっぱいドラマが描かれていて画面から激情が伝わってくるようです。うねうねしていまねぇ。(ちなみに上方でなんとなくエラそうに横たわっているのが王様、サルダナバールです。これから死ぬにあたって、自分が寵愛したものをみ〜んな道連れにして処分する!ところ。自分が愛でたものを敵に渡してなるものか〜ということですね。わかるようなわからないような・・・汗)
「シャセリオーは、新古典主義的な安定感のある画風から、画業後半は(といっても37歳でこの世を去るので、夭逝の画家ですね)ロマン主義的なザワザワ感が現れます。」
この「ザワザワ感」という表現は、参加者の方から出た感想で、なるほどです。でも、ちょっとわかるようなわからないような?、かもしれませんね。つまり、新古典主義では、絵はある種の理想に沿って均整の取れた輪郭線で描くことが大切で、安定感を感じます。そして普遍的な美を描く。ひと言で言うと、かたい。でも、ロマン主義は内なる衝動に突き動かされるように描く。形式よりも自分が感じたことを筆にのせ、その場の空気まで伝える。不安感すら呼び起こすのです。リアル、それがザワザワ。つまり、現実を理想化せずとらえ、小綺麗におさまらない躍動感があるのです。
シャセリオーは、アングル先生の新古典主義的端整さを受け継ぎながら、それではおさまらずにロマン主義的要素を孕み、後の画家たちに繋いでいった存在とも言えるでしょう。
「若いうちから成熟した大人の文学者たちと交流し、影響を受けた。技量があるシャセリオーは、文学が題材にするような人間の本質的な情動をも描くことができるのだけれど、それは本人の内的衝動からではない。それ故に少し弱い。その弱さ、繊細さが魅力でもある。」
「この二つの横たわる裸婦、どうですか?」
シャセリオー左、現実味といえば写実主義のクールベ右。
クールベは、美化せず現実感いっぱいに裸婦を描いていますねぇ(この脚の角度、ちょっと気取らなさすぎ?笑)。繊細なシャセリオーは、裸婦を神話的要素にのっとって描いています。シャセリオーもちょっと現実的にニンフの脇の下に毛を描いているのですが(モデルが自分の彼女だったから「オレ様のカノジョ印」らしい)、比べるとどことなくお上品でソフトですよね。
この情感豊かなところがシャセリオーの魅力のひとつなんでしょうね〜
中尾先生の講義は白熱して、皆さんとの対話が尽きませんでした。これから展覧会に行く方にも、既に見て来て受講された方にも、内容が濃くて熱い中尾流でした。
中尾さんはいつもと変わらず、パソコンとちょびっと格闘しながら「あれ?」とか「おっ!」とかつぶやきながらクマさんっぷりを発揮。この中尾先生のテンポというか「間」が、どんな時も全体をゆったり楽しくしていると感じます。
本日のオヤツは、
こんな和菓子。抹茶と桜。集中した脳には糖分を。甘いものとお茶で一息。
これがプロトマニアの流儀です。
アート大好き♡
次回は、これまた丸の内の三菱一号館美術館で開催しているナビ派を取り上げます。お楽しみに!
*美術のことを知っていても知らなくても楽しい!〜
中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座
第36回 ボナールとナビ派
4月23日(日)13時から15時30分