
私の母は少し変わった人でお母さんらしいお母さんというイメージからはちょとばかり遠い人です。そんなものだから小学生だった私の友だちにむかって「これについてあなたはどう思う?」とかって、大人に問うみたいに子どもに尋ねたりしていたらしい(あとからその幼なじみが教えてくれたのですけど)。
そんな母が歳をとって、いろいろなことが出来なくなっている今、少しずつ、そっと私に頼ったり甘えたりするようになりました。あの母が!!…でもあるのですが、母から『甘えていいのだ』ということを両手で受け取った気がします。
子どもの頃から習い事をして来たせいか、先生に対するリスペクトが無意識に働くところがあって、お金を出して教えていただいていても、けっして「お金を出しているんだからちゃんと教えろよな〜」みたい気持ちにはならない。でも最近、それも1つのこだわりなんだなぁと気づきました。
リスペクトとは「全てへのリスペクト」しかありません。
あることを知る、身につけるためには先生は必要なのです。頼ったり、ちょっと甘えさせてもらうことがあっていいと思います。でも、本当に知りたい身につけたいときには、自分で立つしかありません。私がずっと求めていた「本質」についてもそうです。
そんなのわかっているけど…と言い続けて先延ばしにして、教えてくれる人とのクローズした関係性を作ってぬくぬくしていてもいいけど、そこが真剣さを問うところ、大切なところ。もちろん、先生そのものがどうこうって話じゃありませんよ。先生はそういう役目の人たちだから必要でいてくれるのです。大切なのは、こちらの姿勢、在り方なのだとあらためて感じています。全ての責任、言い換えれば主導権、は自分にあります。
前にもちょっとご紹介したことのある Taku さんのブログで、このことに関してど真ん中の記事がアップされていました。Taku さんは、独特のユーモアを交えて真理についてお話してくれるので、よかったら読んでみて下さいね。過剰な期待もさせないし、美しく聖なる言葉もなく、ひたすらに軽やかです。このセンスは抜群だからぜひ、笑いながらね〜!
Taku さんが書いていたけれど、素晴らしい先生〜と感じるということは、自分の中にそこに共鳴する素晴らしさがちゃんとあるからなんですって。ね、ス・テ・キ♡
親鳥のように時に優しく抱き与え、時に冷たくあっさりと手を離して(笑)知らん顔して微笑んでそこにいてくれる、すべての先生たちに感謝♪
今日は、先生のいない「空のお茶会」です。
ひとりひとりで、みんなとね!
*先生のいない、読書会
空のお茶会〜バーソロミューと共に。
3月19日(日) 14時頃から16時頃まで
参加費は2000円(お茶とおやつ付き)
*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜
4月29日(土祝) 14時から16時