数年前にね、アルゼンチンタンゴのレッスンを受けに通ったことがあるのです。
オシャレ〜な男友だちが、当時イソイソと通っていて、ある時着いて行ったら、そこにあった女性用のダンスシューズがあまりに美しくて素敵だったので、それじゃ私も!と始めました。
レッスンは体験コースだったので、最初から先生と組んで踊るのですが(踊るっていうよりスタジオのあっちからこっちへ移動するレベルだけど)、その時に先生から「自分で勝手に行くな〜〜〜!」と注意されるんです。
なにも私が先生を引っ張ったり押したりしているのではないのですよ。パートナーが次にどちらに進むか、右かのか左なのか、前なのか後ろなのかを察知して一緒に動いたつもり。でも、先生が発する微細な重心の移動、すなわちリードにゆだねなさ〜いと何度も注意されました。それじゃ任せようゆだねようと意図して任せると、既に半歩遅くてドタバタと先生の足を踏む。
きゃー、どしたらいーのー???
と、あっという間に挫折したのですが、大変よろしい経験でした。
先日の和サンガで、
二人の間で行われるコミュニケーションは、キャッチボールではなく、実は同時に応答していることが研究によって明らかになっている。つまりコミュニケーションとは、A があって B が起こるのではなく、同時に創造されている。2人でダンスをしているように。
というお話がありました。
バーソロミューの本の中にも「私たちは、毎瞬毎瞬、目の前のこと、ひと、態度を創造し合っている。日常の繰り返しのパターンにはまってしまっているから創造の喜びを忘れているけれど、本当は毎瞬が創造の喜びに溢れているのだ」というくだりがあります、と先生がおっしゃっていました。
この2つの伝えられたことの中には「対極」がありません。原因と結果がありません。あの人やあのコト、もなく、誰かのおかげや自分のせいもなし。せっかくいい気分だったのに、あの車の危ない急ブレーキのせいで台無し!はないのです。すべては同時に発生していると伝えているのです。同時発生だから A と B の間も分離もないですね。 え?
前に見たテレビで科学者が、
ありそうもないことだからといって、それを否定すべきではない
と言っていました。
「そんなことはあり得ない」という思い込みの前提をはずして、子どものようなまっさらな目で、素直にただ起こるそのままを見ているだけでいいのかもしれませんね〜
そこが難しいんだけど!
・・・という反応も、ただ見ている。それ以上、あれこれ考えを膨らませると合わせ鏡のように延々と続くから、一瞬、間(ま)を空けるひと息をどうぞ。はい、おしま〜い。
*空のお茶会〜バーソロミューと共に。
3月19日(日) 14時頃から16時頃まで
参加費は2000円(お茶とおやつ付き)