
質問者:
真我を実現すると、人は何を見るのでしょうか。
マハルシ:
そこに見るということはない。見るということは、ただ在るということだ。われわれが真我の実現と呼ぶ状態は、新たな何かを達成することではなく、どこか遠い目的地に到達することでもない。それはつねにあなたであるもの、そして今までずっとあなたであったものとして、ただ在ることである。あなたに必要なのは、ただ誤りを真実と見なすのをやめることだけだ。われわれは皆、実在ではないもの実在だと見なしている。ただこの習慣を放棄するだけでいい。そうすれば、われわれは真我を真我として実現するだろう。言い換えれば、「真我として在りなさい」ということである。あまりにも明白な真我を発見しようとしているあなた自身を笑うときが、いつかやってくるだろう。だから、この質問に対していったい何が言えるというのだろう?
その境地は見る者も見られるものも超越する。そこには何かを見ている見る者がいない。これらすべてを今見ている見る者が存在を消し、そしてただ真我だけが残るのである。
「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」第一章 真我の本性 P22より抜粋