質問者
もし私が永遠に完全であるなら、いったいどうして私は生まれてきたのでしょうか?この人生の目的は何なのでしょうか?
マハラジ
それは金をひとつの装飾品につくり変えることに、いかなる利益があるのかと尋ねるようなものだ。装飾品は色彩と金の美しさを得るのだ。金が豊かになったわけではない。同じように、実在が行為のなかで表現されたとき、その行為は意味をもち、美しくなるのだ。
質問者
その表現を通して、実在は何を得るのでしょうか?
マハラジ
それが何を得るというのだろう? まったく何も得はしない。だが、それ自身を表現し、それ自身を肯定し、困難を克服するのは愛の本性なのだ。ひとたび世界は行為のなかの愛なのだと理解するならば、あなたはそれをまったく違ったように見ることだろう。しかし、まずはあなたの苦しみに対する態度を変えなければならない。苦しみは根本的に、注意を求める呼びかけだ。それ自体が愛の動きなのだ。幸福よりも、愛は意識と存在の広がりと深まりにおける成長を求める。何であれ、成長を妨げるものは苦痛の原因となる。そして愛は苦痛を避けたりしないのだ。正義と秩序のために働くエネルギー、サットヴァは妨害されてはならない。進行を妨害されると、それはそれ自身に対して破壊的になるのだ。いつであれ愛を与えることが控えられたとき、争いは不可避となる。隣人の苦しみへの無関心が、私たちのもとへ苦しみをもたらすのだ。
『アイ・アム・ザット 私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話
絶対的な完成は今ここにある P438より抜粋