選択の可能性に満ちている

バーソロミュー

傷つくということは、単に傷つくことにすぎない、それだけのことだ、ということを受け入れ、痛みから逃れることに一生を費やすことをやめると、自分の世界が完全に変わってしまうのに気づきます。心が痛むにまかせていてごらんなさい。誰かそれで死にましたか。全ての人々は傷つけられた経験があります。何度も何度も傷つけられた経験があります。それでも、人々はちゃんと生きています。

そのひどい経験の結果、あなたはどうなりましたか。あなたは苦しみを怖れ、避けようとしていますが、その怖れは幻です。悲しみなくして喜びは経験できません。その二つは同じ世界の両面なのです。ですから、人があなたの悪口を言ったり、あなたに対してひどいことを言ったりするなら、そうさせておけばいいのです。どうでもいいことです。

傷つけられるようなことを言われたとき、あなたはそれにどう対処するか、選択の道があります。何の反応もしないこともできますし、あるいはその瞬間のすべてを楽しみながら、大胆にそのドラマを演じきることもできます。どちらでもいいのです。そのことで憂鬱になり、気落ちし、罪悪感を感じたいなら、それもけっこう、どうぞやってください。堂々と情熱をもって、生き生きとエネルギッシュにやってください。真剣にやってください。こういうときに、何も選択の余地がないと思うと、そこで苦しみが生まれます。自分は選ぶことが出来ないと思うことが、あなたを傷つきやすくするのです。

あらゆる瞬間において、自分は選択の可能性に満ちていることがわかると、その人の世界は変わります。あなたを傷つけるのはまわりの出来事ではなく、「それに対するあなたの反応」なのです。このことは、もううんざりするほど聞かされたはずです。けれども、自分の全存在をかけて、一度でも真剣にそのことに耳を傾けると、自分を傷つけるのは出来事ではなく、「それに対する自分の反応」だということが理解できます。

 

バーソロミュー 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージより