先週の土曜日は、伊東先生が主宰する東京の和サンガ第5回目でした。
今回はとても強い、真剣さからの厳しさエネルギーが流れていた、
と自分は感じました。笑いとユーモアはいつも通りなんだけどね〜
和サンガは、私と感じさせる自己の本質を知って、実感として深める場。
心と身体が私(自分)と頑なに信じている意識の位置から幸せになろうとしても、
シアワセになろう=解決しよう、だったり、
シアワセになろう=達成しよう、だったりです。
そしてそれは、叶ったり、叶わなかったりしてドラマは展開し続けます。
「幸せ」の前提、ってなんだろう?
その幸せ感覚は、外からの何かが必要なの? 何かを得なければいけないの?
解決すれば得られるの?
あなたは幸せ感を、どこに求めますか?
伊東先生がいつも話してくれることは、
「幸せ」感の誤解を解くことへとつながっています。
「いつもシアワセ〜」にするために何をどうするか? ではなく、
いつも幸せなのを邪魔しているものを取り除いて行く、ってこと。
幸せなのに、これがないと幸せじゃないんだ!と思い込んだり、
幸せなのに、今のままじゃ幸せじゃないって思わせちゃっているもの。
それが邪魔している。
常に変わりつづけ、現れては消えて行くものって、
つまりそれには実体がないということでしょ。
そんなものを大事につかんでいたら、現れては喜び、愛し、浮かれ、
消えては戸惑い、不安になり、悲しい苦しいと嘆く。
そんな実体のないものに振り回されている。
実体のないものに気づきを!
気づきを信頼しよう。
受け入れる、とか、手放す、なんていりません!
受け入れる、でもないし、手放す、でもありません!
まずは、実体のないものに注意しよう。
すでにある幸せ、青空。
永遠で原因のない幸福、とマハラジせんせいも言っていたそれ。
でもね、正直言うと、土曜日にふと見えちゃった。
自分はまだ、外の幸せをつかんでいたってこと。
あれがあるから、こうできるからシアワセで、無くなったら悲しい感情が溢れた。
それに今更ながら気がついちゃった。
ちょっと慌てたけど、どこかで開き直っていた。
それでも雲(思考や感情や記憶)は勝手にもくもくした。
それでも、また何もできなかった。
できたのは、深呼吸、ひとつ。
空を見上げた。
自分にはどうしようもなかった。
そんな自分は、青空、真我を求めていて、
本当の私が何かを知って世界の果てまで安心したいと思うのです。
そう思いながら、伊東先生がここに機会を作ってくれて、
同じことを求めたり、くんずほぐれつしている人たちがいて、
出会えたことを感謝しています。
愚直に続けることしかできないのだ。
諦めないのだ。