質問者
あなたはときおり、真我は沈黙であると語っています。なぜでしょうか?
マハルシ
真我のなかで無心の美しさを生きる者にとって、考えるべきことは何ひとつない。なぜなら、その至高の状態のなかでは、真我以外に達成されるようなものは何も存在しないからだ。
「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 第1章 真我の本性
質問者
あなたは在ることについて語っています。何として在ることでしょうか?
マハルシ
あなたの務めはただ在ることであり、あれやこれやとして在ることではない。「私は私であるものである」( I AM THAT I AM)という言葉がすべての真理の要諦である。その方法は、「静かに在ること」に尽きる。では静寂とは何を意味するのだろうか? それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。なぜならすべての名前と形が苦しみの原因だからだ。「私はこれである」という観念を放棄しなさい。真我を実現するために必要なのは、静かに在ることだけである。それ以上簡単なことがあるだろうか? それゆえ、アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は最も容易なことなのである。
唯一、自己の真の本性だけが、調べられ、知られる価値のあるものである。それを注意の的として射止め、ハートのなかで強烈にそれを知るべきである。この自己の本性の知識は、苛立ち苦しむ心の活動から解放された、明晰で平静な意識にのみ明らかにされるだろう。ハートのなかで絶えず輝き続ける意識こそが無形の真我であり、存在や非存在である何か、などと考えることなく、ただ静かに在ることによって知られるもの、ただそれだけが完全な実在であると知りなさい。
「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 第5章 真我探究ー実践より