
質問者
では、何が私を成熟させるのでしょう? 体験が必要なのでしょうか?
マハラジ
あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。そうでなければここには来なかっただろう。これ以上体験を積む必要はない。むしろ体験を超えていかなければならないのだ。あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。それらはあなたのマインドを豊かにするだろう。だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。もし探究から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなたは要点をはずしているのだ。真理はいかなる利点もあなたに与えない。それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。
質問者
真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。
マハラジ
たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない! 真理においては、あなたは他者を助けたりしない。なぜなら他者というものは存在しないからだ。あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い人を助けるように頼むのだ。あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。このために、あなたは偽りを偽り(ヴィヴェーカ)として見なければならない。そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。偽りを放棄することが、解放と活力を与える。それは完成への道を切り開いていく。
質問者
真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?
マハラジ
「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。真理が自らそれ自身を主張することはない。それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探求は無駄になってしまう。真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。
『 I AM THAT 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話 』
幸福へのすべての探求が不幸だ より抜粋