このところ、遠くで近くで『死』に遭遇することが続いていて、
やはり感情は揺さぶられるのですが、
そのことを起点にすると全体が動いているのがはっきり見えます。全ては必然。
思春期に担任だった恩師が亡くなったという知らせ。
ふと、今の自分が考えている世界のことを話したら、
どんな会話ができただろうか、と考えました。
カトリックの学校だったので、担任はシスターだったのです。
見た目がねずみ男みたいで、早口で、ごくたまにしか笑顔を見せないけれど、
ニヤっと笑う笑顔はチャーミングで、密かな人気者だったと思います。
理性的で的確で、厳しいけれど深い愛情を持った立派なキリスト者でした。
亡くなったことを『帰天』といいます。
…やっぱり帰るってことなんだと、今の自分の思考の枠に入れてみます。
時系列の中の風景は思考が落ち着くけれど、それとこれは関係がない。
どんな素晴らしいヨガの達人も名医も、
どんなに悟った覚者も高僧も深い信仰に生きたひとたちも、
死を迎える。
それと同じくらい、
それとこれは徹底的に、ぜんぜん関係な〜い。
ということにほっとする。
死ぬことと生まれること、に促されている。