
私が解体という言葉を使うのは、あらゆる信念体系や持ち続けていた概念、振る舞いや人間関係の古いパターンがばらばらに崩壊するからです。あらゆるものを失います。本当のあなたを認識すれば、あなたがこれまで神聖かつ深刻で意味があるとしてきたものすべてを超越してしまうのです。でも、このすべてを失うという状況は果てしなく続きます。永遠の自然落下(フリーフォール)です。何らかの思考や感情、状況が生じるたびに、それも単なるエネルギーの流れであり、空(くう)の中に生じている感覚であり、自分にとってはそれ以上の意味がないことを、まるで初めて知るかのように理解します。あらゆる基準点は失われ続けます。
異議を唱える思考をよそに永遠で無限の愛の認識を生きるには、常にある種の勇気が必要だと思うかもしれません。常に何らかの経験や思考が生じる中で、何も留めておくことができないのを何回も何回も理解する勇気を持つことは可能です。どのような出来事の中にも、休息する場所はありません。この思考にもこの経験にも…。どのようなことが起きても、それによってあなたが何者か決まる訳ではありません。何回も何回も、自分は何も知らないことを理解します。
これは出来事のすべてに気づいていようと努力することではありません。なぜなら、努力は必要ないのですから。気づく努力をしたり、そう決意するような分離した私は存在しないことが分かれば、この世界は誰の関与も受けず自然に展開していることが歴然とします。一度その洞察を得れば、その後に起こることは次第にその洞察の光に照らされるようになります。
『愛の為に死す』ウンマニ・リザ・ハイド著 ゆるやかな解体 より抜粋