思考とは、あらゆる物事にラベルを貼って説明することにより、安心安全なものに
見せることなのです。
思考はこの上なく安心安全な想定、つまり「私」を創作します。この体の中には
「私の人生」や「私に」起きることをコントロールしている誰かがいる、
と想定するのです。
「あなた」や「私」という言葉でさえ、絶えず会話や書物で使われています。
想定されたこの「私」は、すべての経験や感情、その他の思考を「私のもの」
であるとか、「私」にとって意義があるとか主張します。
そのような想定の本質をよく見て、これは思考が枠を設けて限定しているに過ぎな
いことに気づいてください。この「私」も、枠をはめるためのひとつの思考に過ぎ
ないのです。本当のあなたは、決してひとつの思考の枠に納まるような存在ではあ
りません。
思考はいろいろと役に立っていますが、多くの人が考えているような熟達した
指導者ではありません。ただ手助けをしよう、すべてのことを知って安全なものに
しておこう、納得しようと努めているだけです。思考の本質を知り、思考は単に
その義務を果たしているだけなのに気づいてください。
それ以上でもそれ以下でもありません。
思考はこの現れの劇の中で、本当のあなたである愛を知りたい、
反映したいと望みます。それは全部あなたのためにしていることです。
それでも、思考がそれ自身を超越したものを真に知ることは不可能です。
思考はこの劇の一部です。思考とは、姿や経験という限界あるものを通して、
愛がこの劇の中でそれ自身を表現するために使う道具なのです。
思考の本質を知れば、愛しさと感謝を持つようになります。
思考には限界がありますが、敵ではないのです。
『愛の為に死す』ウンマニ・リザ・ハイド著 思考の本質 より抜粋