『誰が死ぬのか?』
伊東先生の青空禅ワークショップのタイトルです。
このタイトルには、少しビックリするかもしれませんね。
私は最初、びっくりしました(笑)
直球だなぁ、伊東先生。ちょいとばかり表現が過激? …と少し戸惑いました。
このタイトルから先生が皆さんに伝えようとしているワークショップの内容はね、
「誰が死ぬのか?」
「私は、○年○月○日の誕生日に生まれた。」
という、誰もが疑うことのない観念こそ、死への恐怖に繋がっています。
身体は、確かに生まれました。
その後、自我の芽生えと共に「私は、身体である。」という信念は、
疑われること無く、当たり前のことになってしまいます。
しかし、
本当に、「私」は生まれたのでしょうか?
思考が、「私」とネーミングしているものが、本当は何なのかを
一度本気で見直してみることが、誕生と死という
私を限定しているフレームからの
自由の鍵です。
そして、それは取りも直さず、
人生のあらゆる深刻さと苦しみからの自由であり、
分離(個人)の終焉です。
伊東充隆
私って簡単に言うけど、それは何を指しているんだろう。
私っていつからいるんだろう。
それが「私」だって主張するのは思考だけじゃない?
本気で「それは本当?」と当り前の「私」を検証してみたことがあるかしら。
先生の会は、毎回、即興演奏のよう。
主題があってそこから広がって、いったいどこへ行くのかな〜と、
耳を傾けながら注意深く着いて行くと、
その途中にさまざまな景色を見ることになります。
視覚、触覚、想像力、記憶、… そんな諸々を総動員して体験して、
最後にはふわりと着地する。
その間、笑ったり、ちょっとムッと来たりするかも(苦笑)。
おぉ!と胸の内にタッチする瞬間があったりするかも。
でも多くの参加者がおそらく最後に「そういうことだったのか」と思えるのです。
ってなわけで、今回もいつも通り、
先生のインプロヴィゼーションを全面的に信頼して、
青空禅 1day ワークショップの参加者を、大募集中です。
先生、どんなお話をして下さるかなぁ。
今までごく当り前にいた人が、急に逝ってしまった。もう会えない。
それは死という「喪失」。
言葉にならない圧。衝撃で悲しみや後悔や痛みや驚きの感情の渦に飲み込まれる。
当り前だ。肉体の死に出会えば、そういうもの。
それでいい。
誰が死ぬかって、
死ぬのは、この身体を「私」と信じているそのこと、その概念。
死とは生のはじまり。
*伊東充隆主宰* 青空禅フォーラム1day ワークショップ
8月7日(日)13時〜17時 受付中