
タージマハルという名の薔薇。
アマダという名の薔薇。
そして、今という名のソラ。
とびきりきれいなものを見た瞬間は、
肉体の疲れは吹き飛び、余計な想いも消え去る。
何を美とするか?はそれぞれに違う。
磨き続けて獲得できるものと、そうでないものがある。
獲得できるというよりは、
大理石の中に眠っているかたちを掘り出す彫刻家のように、
奥深くにすでに原石がひっそりと在って、それが輝きを放つだけかもしれない。
獲得できるものなどないのだ。
伊東充隆先生の” 青空と雲 ”のお話 「私」とは何か?・中尾陽一先生の絵画鑑賞白熱教室ほか