最善最適、しかないのにね…(つぶやき)

kiduki2016

 

今朝は寒かったですね〜

葉っぱも車も、輪郭や表面が白くなっていました。

 

そういえば先日の  「宋海君先生の気功養生特別講座」は、

冬の養生について だったのですが、

その時に先生がちらっとおっしゃって面白かったのは、

「中医では、体の内側を表面ととらえる」。

例えば食べたり飲んだりしたものをからだが拒否する時は、

要するに、表面に触れたが吸収しなかった、ということ。

その場合、それを外に出せばよい、つまり吐く、下痢、などの機能が働く。

私たちが頭を使って知識を使って処理しなくても、

からだはそうやって自律している。

内側が表面、内側が外側か。

 

介護が必要になった高齢者の方たちの様子を話し合っていると、

症状や行動のパターンが「同じ同じ〜!」と共感共有できることがある。

ふぅん、なんだかみんなそうなるんだ、と思う一方で、

もちろんひとりひとりの違いがあって、それはそれはケースバイケースで、

十把一絡げには言えない。言われたくないと思う人もいるだろう。

それは高齢者だけでなく、病気の症状や子どもの成長も。

 

それぞれがそれぞれである。

… と思われる、思いたいよね、おそらく。

 

アンドロイドはどうなんだろう。

アンドロイドもそのうち、「私は私、世界でひとつだけなの」とか言うのか?

人工知能が学習してどんどんパターンを拡げて、

無数の可能性の中からひとつが選択されて表面の行動言動に現れる。

それはまるで、人間の意識と無意識みたいに。

 

無意識(self=自己)の判断は、10の7乗(1000万)レベルのbit数で情報処理。

意識的(ego=自我)判断は、20bitくらいの情報処理能力で「意識化」している。

 

圧倒的に無意識の方が勝っている(という言い方も適当ではないけど)。

私たちが考えたり、悩んでいると思っている意識的な判断は、

無意識には勝てないわ。

お手上げですね。

 

さて、思考ちゃんは、こうやって脈絡なく次々に考えるのが大好き。

そういえば、溝口あゆかさんの  最新のブログ  は迫力がありました〜

ていねいに言葉を追ってみるといいかも。

 

瞬間性にくつろぐことを最優先にしていたら、

自我が気に入らなくても、

それが最善!最適!

これがサイコー♡