世界そのものもないという真理

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お誕生日でした。

人生初、抱きかかえるほど大きな30本のピンクの薔薇の花束をいただきました  ♪♪♪

オトメ心、ヒメ気分、オトナの少女趣味、充ち満ち〜♡

… 30歳になったワケではありませんけどね。

 

誕生日の『誕』という漢字には、

なんと、「いつわる うそ でたらめ」などなどの意味があります。

ビックリでしょ?

 

…… おめでたい誕生日とかけて、

生まれた、ということが イツハリ  と解きます。

そのココロは!?

 

「ただひとつの真理だけが存在する。

誕生も死もなく、世界を投影することも、世界から退くこともない。

真理の探究者も、束縛も、解脱もない。

ただ至高の一者だけが存在する」

 

ぽんっ

 

 

質問者:

シュリー・チャンカラーチャーリヤのヴェーダーンタ哲学のなかでは、

初心者のために世界の創造の原理が受け入れられていますが、

より熟達した探求者には非創造の原理が説かれています。

この問題におけるあなたの見解はどのようなものでしょうか?

 

 

マハルシ:

「そこには世界の崩壊も創造もなく、束縛された人も霊的修練を積む人もいない。

解脱を求める人も解脱した人もいない。これが絶対的な真理である。」

このシュローカ(聖典の一節)は『ガウダバーダ・カーリカー』の第二章に見られ

る。

真我の中に確立された人は、自らの真理の知識によってこれを知るのである

 

 

質問者:

私たちが見ているこの世界は、真我によって創造されたのではないでしょ

うか?

 

 

マハルシ:

真我自身が多様な名称と形態の世界として現れたのであって、

真我が世界の創造、維持、破壊という行為(ニミッタ・カーラナ)をするのでは

ない。

 

「どうして真我が真実を知らずに混乱して、それ自身を世界として現したのか?」

 

と尋ねるよりも、

 

「この混乱は誰にとって起こったのか?」

 

と探究していきなさい

そうすれば、このような混乱が真我に起こったことはないと知るだろう。

 

 

 

 

『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』より抜粋