好き、というエネルギー

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朝、茹であがったジャガイモを見ていたら、

ふいに、ジャガイモ大好物だった小学生の時の親友を思い出しました。

彼女はこんな夏の日に、まだ23歳なのに海でひとり逝ってしまったのです。

そんな彼女の死は、若い私にとても大きなインパクトを与えました。

なぜ彼女は逝ってしまったのか?  なぜ彼女だけなのか?  あの時私が家にいたら彼女は海に行かず死ぬこともなかったのに、なぜ私は家にいなかったのか?…

あれも真理の探究へと深く深く入っていくきかっけだったのです。

プロトマニアをスタートした初めてのお披露目会で、そんなお話をちょっとだけしました。

 

あのお披露目会には、いつもの青空禅仲間はお声をかけず、

新しく青空に繋げたい友人たちをいっぱいにお招きして(小さなプロトマニアに30人近く来てくれました)、伊東先生にお話をお願いしたのでした。

既成の概念を揺さぶる何からも自由な学びの場、都会の寺子屋のお披露目に、

もともと芸術や哲学宗教に興味のある友人たち、応援してくれる友人たちに、

青空意識という新たな世界の見方を紹介したいと意気込んでいました。

あの時の想いのエネルギーは、伝わったり、伝わらなくて誤解されたりしました。

それも一場面。

今朝は、ハリーの夢を見ました(ハリーは相棒犬)。

ハリーも今はそばにいません。

 

… あれ、お盆だから来たのか(笑)。

 

記憶の中にあるものは時々とても愛しい。(しんみり)

…でも、… 脳は物語をねつ造するんですよね〜(笑)

記憶って、くせ者よ〜。

あはは。

 

溝口あゆかさんのブログを読んで、ことばで伝えるのが本当にお見事だと感じました。

英語圏にいるということも、言葉の性質上、言葉ををうつろでないものにするのかもしれませんね。

愛と受容しかない、ということが腑に落ちた。

そういえば、溝口さんは「書くことが昔から好き」とおっしゃっていたなぁ。

好きだからどんどん削がれて磨かれて行くのもあるけど、テクニックではなく、

好きなことが運ぶエネルギーは混じりっけなしだから、伝わるのだろう。

 

私は、書くことと写真を撮ることと身体を見たり使うことが好きだから、

このブログも書いたり、写真を載せたりがとても楽しいです。

 

夏休みは、会いたいひとに会って、やりたいことをやっています。

あぁ、いい気持ち〜