一番近いものに光を

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私の母は、2分前のことも忘れて同じことを繰り返し、繰り返し、繰り返し、

繰り返し …    言ったり、尋ねたりするんですね。 ふぅ。

で、ときどき私は、ぷっち〜〜〜ん、とキレてしまったりして、

 

もう実家に帰らせていただきますっ!

(いやいや、ここが実家ですけど… とツッコミを入れる)

 

とぷいっと散歩に出たりします。

…     ただ起こった怒りに気づいて見守る   …

という学びは瞬間にして吹っ飛び、その前に身体が口が出ております。

そんな私なのに、外では外のいい顔をしているので、

” 仕事して、お母さんの世話をして、プロトマニアもやって忙しいのに、

そんなことをおくびにも出さず清々しい、アラカ ワサン ”

なんて言っていただいた、… うぐぐ、と冷や汗と共に  ただ在る。

 

あなたは世界が外界のものだと信じている。だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。

 

と、かのマハラジせんせいが言っているように、

それが投影だとしたら、

なによ、こんな志村けんのコントみたいに同じこと繰り返しているのかい、ワタシ???

と思ったわけです、これまで何度も。

で、「この件に関して思い当たらず、却下」と無視していたんです。

 

でも昨日、実はホントだ! っていうことがわかりました。

平和について想いを巡らせていた8月9日に。

 

ただひたすら繰り返していました、同じこと。

灯台もと暗し!

家族ほど、近すぎて見ていないものはない。目を合わせないようにしていました。

でもそこには、マイケル・サンデル先生みたいな冷静で熱くてお見事な先生が、

愛ある白熱教室をいつだって用意してくれているのでした。

あることを繰り返しているだけだったことに気づかせてくれて、ありがとう、母。

 

そこを思えば思う程、こだわればこだわるほど、

そのことの反対の概念が無意識の中では大きくなっていますね。

でも、あってもよしなくてもよし、に戻ることにしています。

繰り返してもいいんです、繰り返さなくてもいいんです。

身体という自然は、いつでも気づきを贈ってくれます。

大好きなバーソロミューはこう言っています。

 

「細胞は、リラックスすると世の中に安心するようになります。地球界は細胞にとって自然な環境で、細胞は自分がここに属することを知っています。ところが細胞は精神の命令を受けます。そして精神は過去の出来事や未来への不安を使って、しょっちゅう不安を生み出しています。怖れの想念がたえず体の中を駆けめぐっていると、細胞はそれに反応して収縮します。それがまた不安を増大させ、細胞を収縮させるというように、繰り返します。

ではどうすればよいでしょうか。いまある感情が何であれ、それを押しのけたりしないで充分に感じつくしてください。思考する頭から抜け出て、体の感覚に入りましょう。呼吸し、体を感じ取り、体に気づきましょう。体の中にいるのが自然に感じられ、元気があふれてきます。肉体のすばらしさについて考えましょう。繰り返し、何度も、自分の体を愛し慈しみましょう。そうすれば、生きていくのに体が安全な場所になります」

 

そんなバーソロミューに励まされ見守られながら、

マハラジせんせいの切れ味鋭いことばが響く。

 

自然のなかでは何ひとつ停止しているものはない。あらゆるものが脈打ち、現れては消えていく。心臓、呼吸、消化。睡眠と目覚め       誕生、そして死、すべては波のように来ては去って行く。循環反復運動、周期性、両極の調和のとれた交替が法則なのだ。生命のパターンに対抗しても無益なだけだ。

もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそれに戻ってきなさい」という意味なのだ。いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。ただ、沈黙だけが自然な状態だ。沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈黙へと立ち帰る。あるいはむしろ、沈黙の背景に反してすべての体験が起こるのだ。

さあ、あなたがここで学んだことが種子となる。表面上は、あなたは忘れてしまうかもしれない。しかし、それは生き、芽吹きの季節は訪れ、成長し、花を咲かせ、実を結ぶだろう。すべてはひとりでに起こるだろう。あなたは何もしなくてもいいのだ。ただ、それを妨げてはならない。

 

青空禅の伊東先生も、これと同じことを根気づよく伝え続けているんですね。

 

灯台の元に、光を。

ひとり遊びしているみたいだな。