
今朝、母がふと、
「夏になると広島に行ったのよね。広島に行くといつも海水浴に連れて行ってもらった」
と言いました。
母方の家は広島で漢方の薬屋さんをしていたらしいのですが、
戦争中女学生だった母は、原爆が落とされた時、広島に疎開をしていました。
私はその頃の体験をよく聞かされて来ました。
もうすぐ8月。
小学生の時に課題図書で読んだのが『八月がくるたびに』という本。
長崎の原爆のお話です。
細かいことは覚えていませんが、その本を読んだ時に感じたのは「恐ろしさ」。
今でも思い出すと、身体の感覚も一緒によみがえります。
おそろしさなのか、まとわりつくような重さか。
子どもが受け止めた、衝撃。
この本が忘れられないのは、
戦争や原爆の悲惨さ、恐ろしさを伝えて平和を考えさせるということもですが、
子どもにそんな衝撃的な本を与えた作者、出版社、学校の、凄さ、鋭さ、覚悟の熱。
今だったら、子どもたちはもっとやんわりしたフィルターで守られてしまうかもしれません。
挿絵は、あのクマさん、篠原勝之さんが描いていたと、後になって知りました。
それもけっこうオソロしくて、一般的な子ども向けの絵ではない本。
8月になるとふと思い出す、小学生の頃に読んだ本です。
青空意識とか非二元とか悟りとか言っていると、
ちょっと特別意識で、個人的な心の何かを満たそうとしているように聞こえるかもしれませんが、
すべての道は、最後に平和という名の『 静けさ 』にたどり着きます。
先週、インターネットテレビでお話した ゼロ・セラピストの坂本範子さんが放映の中で、
広島には平和に対する祈りのベースがある、というようなことをおっしゃっていました。
長い間、仕事を一緒にして来た版画家の福本倫ちゃんも広島出身で、
先日の宮島初上陸の時に感じた広島人のオープンな印象をお話しした時に、
「 広島の人たちってなんだか結束力ありますね〜 」と言ったら、
「やっぱり原爆でいったん何もなくなったところから立ち上がらなければならなかったから、
みんなで助け合って、サポートしよう、がんばろーみたいな気質が知らないうちにあるのかも。
カープ(野球の)の応援もそうでしょ、俺たちが応援しないで誰がする!
みたいな勢いでしょ(笑)、熱くるしいくらいあっついんですよ〜」
と言っていました。
うん、確かに熱いわ♡
あの熱さは、平和の意味を実感した人たちが、戦争の間の生活や状況を体験していない人たちに、
有言無言で伝えて来た日々の祈りが紡いで来た熱さと思います。
過程がどんな風に見えていても、すべては静けさへ。
今朝の母の何気ないことばから、そんなことを考えました。