いつも走る高速道路から見える都心の夜景は、
4年前のあの後の世界の沈痛と静けさを忘れたように、
享楽のきらびやかさで光を放っています。
テレビの画面に映った避難先の年老いたひとが、
「一所懸命働いて自分たちで家を建てて暮らして来たのに、
そこに住むこともできず帰れない。老後こんな目に遭うなんて思わなかった」
と疲れた表情で話していました。
それを暖房の効いたいつもの部屋で見て、聴いているだけだけれど、
その心中は察して余りあり、いいえ、計り知れず、言葉もない。
子どもの頃から家庭の中で、おばあさんおじいさんから、
お父さんお母さんから言われて来たとても素朴なこと、例えば、
嘘をついてはいけないよ
人さまに迷惑をかけてはいけないよ
他者への思いやりを持ちなさい
約束は守りなさい
友達を大切にしなさい
時間に遅れてはいけないよ
食べ物を粗末にしてはいけないよ
などなど。
うるさいなぁと思っていたことは、大人になった時ふと思い出したり、
知らないうちに身に付いていて、それが無意識に出ていたりします。
それは案外、人柄の基盤になっているのかもしれません。
どんな素晴らしく見える新しい考え方や教養や教えや技術よりも、
とても素朴で古くさいようなことが、いざという時に人を救うかもしれません。
昨年秋、プロトマニアの青空禅フォーラムにも来てくださった、
セラピストの溝口あゆかさんは、被災地の方たちのメンタルケアをされているそうです。
セラピストの方たちは、こんな風に活動されているのですね。
善悪、白黒、正義と罪悪感、などの二極、
あれかこれか、ではない「調和の道」を知るセラピストの方達が、
抑え込んだ感情やこんがらがる思いの扱い方を、
そばに寄り添って一緒に解いていってくれたら、
暗闇にいる人も、その人なりの速度でいつか光を見つけることができるのではないでしょうか。
悲しい時に無条件に慰めてくれたり、苦しい時には背中を擦ってくれたおばあちゃんのような、
むずかしくない大事なことをそっと教えてくれて、ただ味方でいてくれる存在が、
時として、ひとには必要な気がします。