
今朝の新聞に、ある県では学校の先生が生徒と個人的にメールなどのやり取りをすることを禁止、
という記事が出ていました。
なぜならば、先生が生徒にわいせつメールを送りつけたり(!)、ドライブに誘ったり(!!)、
いろいろと危なっかしいことが巻き起こってしまったから、らしい。
ちょっと考えたら、それが自分や周囲にどんな体験をもたらすか、想像できそうなのにね。
世の中が便利になってツールが増え、表だって見えない世界が多層的になった分、
現実感、危機感、予測力、想像力という人間の能力、本能はだいぶ鈍くなってしまったのでしょう。
たった一つと思っても、投げ込まれた石からは結局、波紋が広がります。
私に娘がいたら(息子もか??)心配で仕方ないかもしれないな。
このニュースを母に通訳したところ、
先生自身が成熟していないのね。
きっと自分に不満があるからよね。
とおばあさんは言うのでした。
なるほど。
最近起きる事件は、単純ではありませんね。
ちょっと想像できないような理由や、理由すら無く、
外にぶつけるように他者を傷つけたり、侵害したりするものが多いのです。
人間は、この世界ではどこまでいっても満足しない存在なのでしょう。
物を充分以上に持つことができても、社会的地位や人気や知名度があがっても、
パワーを手に入れて特別な自分になっても、幸せな日々すら、もっともっと。
何かで発散することや、ぽっかり空いた穴を埋めることも、
あるところまでは良いのですが、きっとキリがありません。
いつか、本当に全くつくづく、キリがないなぁと感じるでしょう。
ひとは自分自身と向き合うのが一番いやなんだよ、と TV でタモリさんが言っていましたが、
肉体が終わる最後の最後には、誰でももれなく、向き合わざるを得ないとも言われます。
悟りとか座禅を組むとか、そんな類いのおはなしじゃなく、
まずは日常に少し静かな時間、
音もなく、誰とも繋がらない時間を持つこと、
ひとりで芸術や自然と対話する時間や本を読む時間を持つことは、
だいじなのではないかなと思います、子どももおとなも。
それは、ひとり手元のゲームの世界やネットの中に入ることとは、全く違うと思います。
人間本来の自然として。