
先週一週間、毎日が普段より仕事も人との時間も彩り豊かでした。
年度末にふさわしい総まとめみたいな(笑)、多忙で賑やかな印象でした。
そんな日々の後で、母を車に乗せて父のお墓参りに出かけ、
杖をついてゆっくりゆっくり歩く母とお天気のよい墓地の中を歩きました。
ふと見ると、ピンク色の椿が咲いていました。
この椿は、昨春、ちょうどこのブログを始める頃に写真に撮った種類。
あぁ、一年だなぁとあの頃を思い出します。
すべては過去の記憶なので、今ここには何もありません。
私には夫も子どももいないので、母には孫との関係も時間もあげられませんし、
どう見えているかわかりませんが、
持っているもの、して来たことは実にささやかです。
それでも、母と共に陽を浴びて花を美しいと思った時、
これで充分とふと感じ、何より穏やかでほっとしていました。
美しさはストレートに強く働きかけてきます。
ひとと比べず、その人はその人なりでよし、
信じるな、疑うな、確かめよ、とヨガの師に習いました。
望むものが手に入るまでは周りと比べて不足感や飢餓感に焦り、不安になり、
手に入ったら入ったで失うことを怖れるという終わりのない回路は、人間ならば誰にでもあります。
わかっていながら自らそこへ突入してしまうこともあります。
うまく行っているのに、「こんなにうまく行くはずはない」と慎重になって、
次の落ち込みを予想し引き寄せてしまうこともあります。
先ほど言った「今これで充分」とふとわき上がった気持ちを思うと、
実は、唯足るを知る、は、日常でしばしば無意識に「なっている状態」のことなのだろうと思います。
ただ、それをそれとしていちいち認識していないだけで、
さて見つけてみたら、私たちは既に「足るを知る瞬間」を重ねているのですね。
幸福というのは、本に書いてあったり誰かが言った光り輝く高揚感や至福感のような神秘的でドラマティックなものではなく、
日々を丁寧にただそのまま見てみると、誰もがもう充分を味わっている。
今ではないどこかを探すのではなく、今、ここに。
今更ながら、私はそんな風に思いました。
あなたは、どんな風に思われますか?