何も求めない

sundaysun2

もうすぐ今年も終わりですね。

街のクリスマスイルミネーションがあちこちで華やか。

人間はなんとキラキラの好きなことよ!

 

私の今年はいろいろなことがありました。

節分の日には隣の有名スターの家が火事になり、もらい火をしました。

それから初夏まで工事やらなんやら忙しかったけれど、

真っ黒焦げの隣家の焼け跡にはいつからか鳥たちがたくさん集まるようになって、

まるで鳥のサンクチュアリのようでした。

皆さんにはどんなドラマがあったでしょうか?

人生というドラマの中では、感情的になってたいせつなひとを傷つけてしまったこともあるし、

許せない!と思うことも、許されないだろう…と思うことも抱えています。

そんな時、クリスマスの頃に聴いた話を思い出すのです。

それは本当の赦しとは?というおはなし。

ここでそれを私が書くのはものすごーく難しいので書けませんが、

あれから数年。

誰もが精一杯やっているのだ、自分もやはり精一杯やっている、それだけ、と思います。

 

空とは単に想念と欲望の不在にすぎない。肩に重荷をかついでいれば、安らぐことはできない。例えば百キロの重量をかつぎながら、それから逃れたいと願っているなら、それが重荷だ。それを降ろしたからといって、あなたは何かを得られるわけではない。以前にはなかった新たな状態を達成したわけでもない。ただあなたを苦しめていたものを捨て去って、重荷を背負う前の本来の状態に戻っただけなのだ。
この思考過程、この重荷とは、私たちがいつも抱いている欲望のことだ。私はあなたにこの厄介な重荷をどうやって降ろすかを指し示している。「考えているのは誰か?」と尋ねることは思考過程を止め、あなたは本来の自己、自然な状態、空なる純粋な源に戻る。これがあなたの本性だ。あなたはいつも「それ」なのだ。そこに心は入り込まない。時間も、死も、恐れも入りこまない。これが自己本来の永遠の本性だ。そこにとどまりさえすれば、恐れは消え去る。そこから一歩外に出れば、このサンサーラ、世界という現れに足を踏み入れることになる。そして絶え間ない災難にまきこまれるのだ。

The Fire of Freedom  Sri H.W.L. Poonja より