
私が折に触れ助けられたのは、インドのパパジです。
そのパパジの先生、ラマナ・マハルシのことば。
沈黙は真の教えてある。それは完全な教えである。
それはもっとも熟達した探究者にのみふさわしい。
他の者にとって、それから完全なインスピレーションを引き出すことは不可能だ。
それゆえ、彼らは真理を説明するための言葉を必要とするのである。
だが、真理は言葉を超えている。それは説明を許さない。
言葉にできることは、ただそれを指し示すだけである。
沈黙は絶えず語っている。
沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れである。
あるがままに ラマナ・マハルシの教え より